数十年ぶりに記憶のタイムカプセルが開いた
東京都立川市の街は再開発によりものすごく様変わりを続けていますが、それを行う為には広大な土地があるという条件が必要なってきます。
通常の駅周辺は建物が密集して用地買収などがボトルネックとなり大規模な開発は難しいのですが、立川駅周辺は飛行場や軍事工場などの軍事施設跡地が広く残っているので、開発には申し分のない環境となっていました。
そこへ道路が整備され、官公署が入り、IKEA・ららぽーとと施設が建ち並んでいます。
そんな場所も子供の頃は柵で仕切られた異空間であり、中に入ることは出来なかったので外から眺めながら南北道路を通っていました。
現在でもそうですが、立川駅周辺はこのあたりでは一番大きな街でしたので、近所に無いものを買おうとすると立川の百貨店で買い物をして、丸井の最上階にあった森永レストランでお子様ランチを食べるのが定番のコースでした。
もう少し大きくなると友達と自転車で映画を見に行ったりしていたのですが、通るたびに気になっていた建造物が柵の向こう側にありました。
周りの人間は特に気にしている様子はなかったのですが自分は妙に引っかかっていました。形状はコンクリート製の横長の長方体が二本むき出しになっており、形はどう見ても駅のホームですが、立川駅からはだいぶ離れています。
なので駅ってことは無いよなと、軍関係の施設の名残だろと思いつつ、いつの間にか、その存在を気にも留めなくなっていました。
それから時は流れて数十年、地元周辺の廃線跡などを調べていたら立川~国立間から分岐して、現在遊歩道になっている所を通り旧立川飛行場まで伸びている引き込み線があることを知りました。
軍事用の貨物を載せていたのですが、そういえば変な所に線路の跡みたいのが有るなあと、もう成人した頃になってこのあたりをうろついていた時に思っていた場所が線路だったのです。
成程とそのままずっと辿ってみました。そうすると現在の多摩モノレール基地のあたりまで続き、そこまで行ってアッと数十年前の記憶が蘇り一気に繋がりました。
あれは駅のホームで間違いなかったと、その当時モノレール計画がすでにあったので将来の為のものかと考えたりもしましたが、もっとずいぶん昔に使われていたものだったのだと時空を超えて繋がり、そのタイムスリップした感じがなんとも言えない瞬間でした。
現在も同じような位置にモノレール基地があるのは、なんか意味があるのかなと考えたりしますが、将来ふとしたことで繋がる瞬間の来る日があるかも知れません。
その日を楽しみにして、日常の気になったことを記憶のタイムカプセルに放り込んでおきます。